Message|いい俳優ってなに?
ずいぶん昔、ある有名な俳優とお酒を飲んでいたら、こんなことを言った。
“若いころ撮影の現場にいっても俺のことを誰も知らない。でも挨拶して演技して少しずつ覚えてもらう。もっと多くの人に俺を知ってもらいたい。いま日本のほとんどの人が俺を知っている。俳優とはそういう仕事だ”、と。そのとき僕はこの発言を少し短絡的だと思い、淋しくも感じた。
俳優は自分の身体が表現の手段になる。相手役、セリフ、場所とその空気、特に五感に直結するもの(嘘をつかないので大事)などそこに派生するすべてを自分の心や身体を通して感じ、いま感じたその身体で表さなければならない。かなりややこしい。そのためには緊張をほどくとか、自意識を捨てるとか、集中するとか、勇気を持つとか、既成概念を排除するとか、演技をする上での様々な要素をクリアにしなければならない。そうして力のついた俳優のセリフや表情や振る舞いは、自由で生命力を持っている。自由で生命力を持つことが人の心を動かす。
そもそも表現をしようと思ったとき、大事なことは自分自身がなにに感じるのか?なにに心が揺れ動くのか?を知ることです。映画や小説や絵画でもいいし、実生活のことでもいい。そして次になぜ揺れ動いたかを考える。そこに‘自分だけのどうしようもないもの’がある。ただちょっと気をつけないといけない。それは、“本当にそれがどうしようもないものなの?”ということだ。僕たちは驚くほどに社会化されている。教育はあまりにも論理的で、奇天烈な発想は排除される。異物は排除する社会だ。近年ますますその傾向に拍車がかかっている。でも表現することは真逆だ。モラルとか法律とか習慣とかを取り除いて自由になり、それでもなにを感じるかが大事だ。“殺人はいけない”ということは皆知っている。でも“人を殺したい”という人の心は、誤解を恐れずに言えば自由で生命力に溢れている。良いとか悪いとかとはべつのもっと根源的な話だ。社会は上手く共存できるように、あくまで便宜的だ。そこにロマンティックはない。衝動もない。美しくもない。
冒頭の俳優はこんなことを言おうとしていたのではないか。
“演じることは、私はここにいると示すことなのです。いい俳優とは、モラルや法律や習慣から自由になり、社会ではなく世界と唯一無二の存在として繋がることなのです。それが俳優という仕事です”、と。